- 美容師インタビュー | 2022.04.09
垢ぬけた提案を支える、挑戦と継続|Befine Coo AVEDA 藤木豊和さん
今回のインタビューにご協力いいただいた「Befine CooAVEDA 店長 藤木豊和さん」は、関西で今、最も勢いのあるヘアデザイナーさんです。
藤木さんはSNSなどで
「"東京の美容室じゃ無くても、お洒落で垢抜けた髪を京都で"」
というメッセージを発信されています。
日本のヘアトレンドの最先端を提案し続けるために、今取り組まれていること、その美容師人生とともに、お話をうかがいました。
京都市河原町エリアの美容院Befine Coo AVEDAのご紹介
今回インタビューに答えてくださった藤木さんの務めるBefine Coo AVEDA。
京都最大の繁華街、四条河原町エリアにOPENして2022年12月で丸10年を迎える人気サロンです。
ロケーション
河原町通りの一本西の趣ある路地「裏寺町通り」。
この裏寺町通を四条通から北へ向かって進むとすぐにあるファミリーマートの2階が「Befine Coo AVEDA」です。
サロンのインテリア
白を基調にグリーンが映えるインテリアは、清潔感があり年齢を問わず居心地の良い雰囲気があります。
苔をイメージしたグリーンは、OPEN当初から「この地に苔むすほど長く愛されるサロンに」という想いが込められているそうです。
ファッション好きのドライな学生時代
それでは早速Befine Coo AVEDA 店長 藤木豊和さんにご自身の美容師人生を紐解いていただきましょう。
まずは美容師を目指したきっかけから!
美容師を目指そうと思ったきっかけは何ですか?
小さいころからモノ作りが好きで、ゲームなどの既製品より、絵を描いたり工作を楽しむタイプの子供でした。
あと、小学校のころから、ファッションはこだわり強いほうだったと思います。
中学に入ってからは本格的に洋服が好きになり、美容師になることを意識しだした高校時代にはとにかくバイトして服を買いまくる毎日でした。
当時の経験で印象に残っているのは、美容室の行きに着ていたファッションが、帰りに似合わなくなっていると気づいたことです。
ヘアスタイルはファッション全体にとってもすごく大切だと思ったのを覚えています。
モノづくり→ファッション→ヘアスタイルと自分のなかでつながって美容師を目指すようになっていました。
美容学校ではどのような学生さんだったのですか?
真面目ではなかったですね。
誰よりも遅く登校し、誰よりも早く帰っていました (笑)。
実技や成績はそれほど悪くはなかったですが、当たり障りなくこなしていたように思います。
今から思うと、考え方もめちゃくちゃ軽くて本気度がなかった学生時代でした。
就職活動のタイミングでも、何となく京都の大きい美容室の説明会を何社か受けて、その中で今働いているBefineに出会いました。
最初は「ちょっと違うな?」という印象だったのですが、説明会の途中で東京のコンテストから帰ってきたばかりのスタッフさんが、オリジナルの衣装を着たモデルさんのスタイルを紹介してくださいました。
モデルさんのヘアスタイルや衣装が可愛かったのはもちろんなのですが、コンテストに出場されたスタッフさんの個性的なファッションがやけにカッコよく見えて、あんなふうになりたいなと思い、そのまま入社を決めました。
今から考えると、この経験が今につながるルーツだったと思います。
結果がでない悔しさと、必死を続ける原動力
Befine入社後のアシスタント時代はどうでしたか?
学生時代の中途半場な感じでBefineに入社したわけですが、とにかく体力や金銭的な面でついていけないと思いました。
入社1年目の夏休み前ぐらいには、辞めようと思って社長に言いにいきましたが、周りの先輩方からすごく熱心に引き止めてもらって、結局は思いとどまりました。
当時からBefineではコンテストに挑戦する社風がありました。
コンテストは通常業務以外の時間でレッスンなどと並行しながら準備するわけですから、体力も気持ちも、かなり負担がかかる挑戦です。
辞めたい気持ちをギリギリでとどめていた頃に、当時直属の先輩だった森下(当時様々なコンテストで結果を出し続けていた会社を代表するスタイリスト)から
「藤木はしんどくてもコンテストに出なさい。お前は出ないと勿体ない」
という厳しくも温かい指導を受けて、そこからコンテストに挑戦するようになりました。
1年目からコンテストに挑戦されていたのですね?
そうです。
1年目から現在まで、毎年必ずコンテストに出場しています。
でも実は最初の5年間は1個も賞を獲ることができなかったんです。
周りのスタッフ、先輩や同期や後輩もだいたい皆、2~3年のうちになんらかの賞を獲っていくのですが、自分だけは全く結果が出ないという状況でした。
無茶苦茶悔しくて、「賞はとれなくても、せめて誰よりも早くスタイリストになってやる」と決めました。
周りにも「5年目までに必ずスタイリストとしてデビューします!」と公言してレッスン・検定に取り組みました。
当時のBefineではスタイリストになるまで平均5年~6年くらいかかるようなカリキュラムでしたが、結果4年半、2年上の先輩たちとともにスタイリストになることができたのです。
辛いアシスタント時期を乗り越えられた、その秘訣などはありますか?
なかなか結果が出なかったアシスタント時代でも、やりがいをもって続けられたのは、やはり支えてくださるお客様の存在です。
僕はアシスタント時代、シャンプーの指名はダントツで一番でした。
お客様が自分のことを覚えてくださる・喜んでくださるということが、つらくても頑張りつづけられる原動力になっていましたね。
シャンプーって技術だけでなく人柄も大事だと僕は思います。
僕を指名してくださったお客様は、シャンプーの技術よりも、必死で取り組んでいる姿勢をみて、指名してくださったのではないか、今思うと感じますね。
スタイリストになられてからの状況はどうでしたか?
▲スタイリストデビュー当時の藤木さん
ずっと結果が出なくて苦戦していたコンテストでしたが、挑戦5年目を迎えてから徐々に結果ができるようになりました。
その一番のきっかけは素晴らしいモデルさんとの出会いです。
▲スタイリストデビュー当時、コンテストでの様子
コンテストへの挑戦はモデルさんと美容師とのセッション。
ビジュアル的な面はもちろんですが、僕を信頼して髪を任せてもらえる関係を築くことができて初めて、自信をもってヘアデザインを表現できます。
素晴らしいモデルさんと、そうした関係を築くことができたことで、その後も継続して結果をだすことができるようになりました。
今から思うとよく5年間、結果がでない中で継続しつづけられたと思います。
最初に森下からお尻を叩かれてから、Befineで鍛えられて続けて、人間として成長できたからこそ続けられたと思います。
- 挑戦するのが普通というサロンの文化
- このまま結果がでないままでは終われない、という自分の負けず嫌いさ
- お客様の暖かいお言葉が支えになったこと
そうした環境によって、中途半端だった自分を、多少つらくても挑戦し続けられる人間に成長させてもらえたのだと思います。
コンテストへの挑戦が、今の空気感のインプットにつながる
コンテストでの取り組みは、どのようにお客様に活かされているのでしょうか?
▲2020年三都杯グランプリ受賞時の様子と作品
ヘアスタイル業界のコンテストは、ファッション業界のコレクションに似ていると思います。
パリコレなどで見る洋服は、ほとんど裸みたいだったり、機能性が全くなかったりしますよね?
でもそのエッセンスを取り入れて、トップメゾンからファストファッションまで、洋服のデザイナーは市場に流通するファッションを作ります。
例えば同じTシャツでもサイズ感やシルエット、生地感や縫製で見た目の印象が全く変わるように、同じボブカットでも、似合わせや微妙なカットラインで古臭くもなれは新しくもなります。
コンテストに挑戦する美容師は、誰も見たことのない斬新なヘアスタイル、だけどちゃんとモデルさんに似合っていてカワイイ、そんなギリギリのラインを攻めていきます。
MAXまで攻め切った経験があるから、同じヘアスタイルを切っても、そこにブランド価値が生まれるのだと思います。
僕はコンテストに出るたびに、カワイイと思えるヘアスタイルのインプットを、無茶苦茶たくさんします。
今最もカワイイと自分で思える空気感がどんなものか、それでいて自分のオリジナルといえるようなヘアスタイルを作り上げます。
毎年コンテストに挑戦するから、お客様に提案できるトレンドを更新できていると実感しますし、逆にコンテストに挑戦しない年があったら、自分のサロンワークどうなっているのか不安ですね(笑)
休みの日などのように過ごされているのですか?
プライベートの話も結局仕事の話になってしまうのですが、おかげ様でセミナーなどのお仕事をさせてもらったり、あとSNS用の動画を撮影したりしています。
また店長をやらせてもらっていますので、今から伸びていこうとする若手のメンバーを集めて毎月1回お休みの日に撮影会を企画して、自分が伝えられる限りのノウハウを伝えるようにしています。
でも結局そうすることで一番自分が成長できているとのだと思います。
自分でインプットしたことを後輩やセミナーでアウトプットすることで、同じことを続けるわけにはいかない状況ができますよね。
だから次のコンテストでは全く新しいインプットをしなくてはならなくなります。
自分の中に入れられるアイデアやノウハウは限りがあるので、伝えて吐き出すことで新しくインプットできる容量を作っているようなイメージです。
そんなこんなで休日を過ごしていると、すぐに次の出勤日がやってきます。
出勤前の火曜の晩には、テンションが上がる映画を見て自分を盛り上げるのが習慣になっていますね(笑)。
髪も人もファッションも。妥協しない美容師に
最後に今後の展望をお聞かせください
現在までの取り組みで、ある程度美容師としては尖った部分を作ることができてきたのではないかと思います。
ただもう一方で僕の本来のルーツは、いろいろやりたいタイプ。
アパレル関係や人のプロデュースなどにも携わっていきたいと思っています。
2022年は、コンテスト挑戦で知り合った洋服のデザイナーさんと共同で個展を開催したり、オリジナルのリアルクローズを制作販売する予定です。
この企画の背景には2年間衣装制作で一緒にコンテストに挑戦してくれた同士でもある彼女の才能を、お客様は周りの美容師さんなど、もっと多くの方に知ってもらいたいという想いがあります。
▲藤木さんがデザインしたオリジナルワードローブブランド
もちろん引き続きコンテストにも挑戦していきたいです。
自分自身が結果を出したい想いもありますが、自分に髪を預けてくれるモデルさんだから、絶対一緒に表彰台に上げてあげたいと思って活動しています。
美容師としては、お客様にとって僕のところに来ることが、その日の行動のきっかけになるような人でありたいと思います。
髪を切って、そのあとのデートへとか。
髪を切ったきかっけで、新しい服を買いたくなったりだとか。
髪を切るためだけでなく、彼氏できたから話しに行きたいだとか。
サロンワークでもコンテストでもプライベートでも、
- やり残したことがないように
- ああしてあげたらよかった
- 時間に負けて、ちゃんとやれなかった
後から振り返ってそう思わなくてもよいように、目の前のことに全力で取り組みたいですね。
藤木さんはご自身の10代~20代前半のころを、やれている風で本質が見えていない時代とおっしゃいます。
ある程度結果が出れば、それなりに満足できる生き方もあると思います。
バランス感覚のある人なら、今の時代、そのほうが賢い生き方と思う人もいるかもしれません。
でも一方で、トコトン自分を追い込んで本気になった経験があるからこそ、人は強く信頼でき、共感できるのではないでしょうか?
同じ自分の髪を預けるのであれば、技術も人柄も、信頼できる美容師さんにお願いしたいですね。
藤木 豊和さんプロフィール
Befine Coo AVEDA店 店長 滋賀県出身。キャリア12年
インスタグラムでも独自の打ち出しに成功し、高い集客力、リピート率を持つ。
垢ぬけたヘアスタイルや、ボブスタイル・ブリーチワーク・パーマスタイルなどで高い支持を得る。
- 2018 トレンドヴィジョンエリアファイナル出場 / 三都杯優秀
- KHA ライジングスターノミネート&デザイナーズ
- MILBON DA 大阪準グランプリ
- 2019 DA of the year ファイナリスト
- 2020 三都杯決勝大会グランプリ他5賞
- 2021 MILBON DA デザイナーズ
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